2010年9月19日日曜日

最近の悩み

今までの人生の大半を学生として過ごしてきた俺にとって
先生というものは決して好きな人種じゃなかった

でも

いま

タンザニアでTeacherと呼ばれている


学校ではもちろん
近所の子供たちにも
近所の市場でもTeacherと呼ばれて振り返るようになりました



タンザニアでは先生は威厳があり生徒になめられてはいけないようで
俺が生徒と笑いながら話していると
アカデミックマスターという肩書の先生に

「こーしろはもっと生徒に厳しくしなきゃいけない」
的なことをよく言われます

きっとフレンドリーに生徒と話していると俺以外の先生の威厳が無くなってしまう
ってことが言いたかったのだと解釈したが


なにか引っかかります



確かに先生は生徒に尊敬されるべきなんだろう
授業を行い、その科目の難しいところを丁寧にわかりやすく噛み砕き説明する
・・・・難しいことだと思う
生徒と先生の相性もあるだろうし、同じクラスの中で学力の差が大きい学校では
本当に難しいことだと思う
一日の大半を生徒とすごし、彼ら、彼女らの生活態度をも躾けていかなきゃいけない

でもそれを行うために一所懸命になるから
生徒も生徒の親も地域の人からも尊敬される存在になるじゃないのか?


つまり

尊敬って自発的におこるもので
強制されるべきものじゃない
と、俺は思う


でも、今俺がそれを出来ているかといえば


出来ていないだろう



もっともっと生徒のために何かをしなきゃいけない
ただ受け持った授業をこなすだけでは
タンザニアに来てまですることとは思えないから・・・・


人それぞれ考え方はあるだろうから
アカデミックマスターの考えを批判する気もない

でも

間違ってることは間違ってるってどんな場面でも言えるようになりたいと最近よく思う

これからは英語もスワヒリ語も通じなくとも
どんなに小馬鹿にされても
わけのわからないことにはもっと突っ込んで行こうと思う





この子は俺の近所の子で

リザ
っていいます

俺を見つけると
走って近寄ってくる彼は本当にかわいらしいです

最近彼は
スワヒリ語を徐々に話すようになってきて
頑張ってるリザの姿に背筋を正されます(感謝)





俺の授業風景です

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